令和も覇権

劇場版名探偵コナン25作目「名探偵コナン ハロウィンの花嫁」

観ました???全人類観ましたか????

 

もう…もうあまりにも…あまりにも面白くて、初見時本気で真っ暗な劇場内で天を仰ぎました。やべーーーーーー名作が爆誕してしまった…。

シンプルにストーリーがめちゃめちゃ面白い。最初から最後までずっと面白い。加点しかない。すごすぎる。見終わったあと、「最高」「面白かった」しか出てこなくて困った。何から何までよく出来ていてどこから拾って語ればいいかわからない。全方位に面白い。そんなことある??

 

劇場版22作目の「ゼロの執行人」も私は相当に好きだったのですが、同じかそれ以上に脚本力があって、でもゼロシコの時は“安室透”というキャラ人気が先行してしまっていたので(あんなの見せられたらそりゃ狂うのでしょうがない)、今作がしっかりストーリーの面白さで話題になっているの、本当に嬉しいです。

 

 

 

以下ネタバレ

 

 

高木刑事、めーーーーちゃめちゃ好きキャラなのですが、まさかこんな日が来るとは。劇場版のメインビジュアルに!公開直前の金曜ロードショーでは本庁刑事恋物語を放送!高木刑事のシンデレラストーリーとしても完璧。笑

私がTV放送をリアルタイムで見ていた頃を思うと、ほんとーに大出世だ。

高木刑事と佐藤刑事、2人がお付き合いをスタートするまで、そらもう色々あってすったもんだの末にくっついたわけですが(ちびっ子時代に見ていた時は白鳥ィ!ジャマすんな!と思っていたし、ずっと白鳥刑事がこの世界の黒幕なのだと思っていた…)(ミスリードに素直に踊らされるかわいげがあった頃)、コナン界の貴重な大人の恋人同士として(しかも幼馴染じゃない)いつもと違った恋模様が垣間見えるのは楽しいですね。

最後のキスシーンも原作のオマージュばっちりだったし(いつも2人のキスを目撃するのは少年探偵団なのだ…)こんな大人のキスを濃厚に映す名探偵コナンの客層どこ〜〜!??!?昔からこっぱずかしいシーンではキャー///と思っていたが、この歳になってもなおいっそう恥ずかしい、これこそコナンなんだよな。。

いつも新一と蘭の絶対的運命大恋愛ばかり供給されているので、過去の男を忘れられない女とそんな彼女を丸ごと愛する度胸をもった男という、コナン界における一味違った大人カップルの醍醐味を余すことなく味わえました。 

高木刑事自身も過去に心から尊敬する教育係の伊達刑事が目の前で車にはねられるし伊達さんの婚約者も後追い自殺しちゃうしでトラウマエベレスト級の過去があるわけですが、それを胸に刑事を続けられる強さたるや。一方でお人好しと言われるくらい温和なところが人に好かれる所以なのだろうな〜。(ゼロの執行人で高木刑事がコナンに「こんなこと言っちゃいけないけど、民間人に被害が出なかったのは不幸中の幸いだよ」って何も嬉しくなさそうに語るシーンがすごく好き)恋愛ごとに関してはヘタレなところもあるのに、警察官としての心の強さは誰にも負けない。熱くなりすぎる佐藤刑事を決して一人にせず軌道修正してくれるのはいつも高木刑事なの、良いですよね〜〜〜〜〜いちばん佐藤さんのこと見てるのは高木くんなので…光の男・高木渉

美和子の「柴犬とドーベルマンを足して2で割ったかんじ」とかいう無茶苦茶な説明を解読できるのはこの世で渉だけ!(またこの変装すると松田陣平そっくりになるとかいう設定の罪深さよ)

僕が好きになったのは、刑事の佐藤美和子だ!と言える真っ直ぐさと愛情深さ、間違いなく佐藤刑事の心を射止めるに足る魅力です。

 

そして今作描かれるもう一つの“過去”、警察学校組。

まあまあ前からいる重要キャラ・赤井秀一、その赤井のために用意された“降谷零”、そしてそのれいくんのためにさらに用意された警察学校組こと松田陣平・萩原研二・諸伏景光・伊達航の面々。

ちょうどTV放送の警察学校編・萩原研二を見てから3回目のハロ嫁観に行ったのですが、連綿と続く「アイツならどうするだろう」という想い、命の瀬戸際で思い浮かぶのはいつも親友の言葉で、その言葉をすっかり信じ切れる関係性…強い強い強い。“幼馴染であり親友”という関係性が魂に刻まれている男たちよ……そしてれいくんは本当にこの4人の全てを受け継いで今日まで生きているのだなという感慨が胸に湧き溢れて、とどめのようにエンディングのクロノスタシスが流れ始めたところで限界を迎えてしまった。

悲しみや切なさをあそこまで清々しく歌い上げられるのはBUMPならではですよね。(しかし幼馴染大渋滞作品の主題歌を幼馴染バンドが飾るのどういうつもり!?ってなってしまう…どういうつもりですか?ありがとうございます)

youtu.be

クロノスタシス、明確に失くしてしまったものの歌なんだけど、喪失感に苛まれるよりも確かに在った日を慈しむ曲であるのが、れいくんの同期4人を亡くした後の人生観と重なるようで、染み渡る。。

降谷零、あまりにも孤独が似合う男なわけですが、“一人で孤独を抱えられる強さ”と公式見解があるように、同期4人と過ごした日々も得た知識も技術も全てれいくんの中で生きていて、ただもう二度と会えないだけ、という孤独が“孤高の公安警察ゼロ”としての輝きを増している要因なのですよね。こわいよこんな設定を今さら付与してくる青山剛昌御大が…

 

いや名探偵コナンって私の生まれた頃から連載してて、リアルタイムにアニメを見てた頃は、蘭にバレる!?黒の組織灰原哀服部平次!キッド!くらいのエッセンスだったはずなのに、大人キャラ増員して(しかもみんなワケあり)歳を重ねたかつてのコナン世代を今もなお巻き込んでくるの、そりゃ令和も衰えないですよ勢い…

推理漫画の金字塔として以外の魅力をまだまだ盛れる強度がある「名探偵コナン」、コンテンツ力の鬼か。

そもそも作品内での時間軸が我々が過ごした年月よりもずっと短いスパンなので(新一が失踪してから半年しか経ってない)死んだキャラの死ぬ前の日常が苛烈なスケジュールで増やされていくおそろしい作品であり、死んでるキャラだからこれ以上ストーリー増えないだろと思って安心して飛び込むと痛い目見るの笑う。軽率に狂わせてくるじゃんこっちの人生を。

 

ちなみに私は警察学校組でいちばん好きなのはれいくんの幼馴染・ヒロこと諸伏景光ですね…大人になると前髪も伸びるし髭も生えるヒロis何?あんなにかわいい顔してたのにそんな急に雄みを出されると…困る…育ちのいい男が吐く「クソッ」は最高。

階段を駆け上がってプラーミャの肩を打ち抜きゼロを助けたヒロ、階段を駆け上がる音がヒロを追い詰めてしまったゼロ、いやまさかそんな対比ではないよな…これは私の考えすぎだよな…と思いながら心臓きゅっとなったシーンでもあった。そんで最後ヘリ戦闘シーンで躊躇なく一発目にその肩を狙っていくれいくん…!!!お前はそういう男だ!!いけ!やれ!!そのプラーミャの肩にはヒロが打ち込んだ弾丸が残ってる!!!

 

探偵モノにおける警察って主人公である探偵キャラのおまけ的要素が強くなりがちですが、コナンに登場する刑事たちはみんな一人一人が魅力的で己の正義をもって職務を全うしているので、スピンオフや横軸の話が増えるのも分かるというか、もれなく全員に幸せになってほしくなっちゃう。ハードボイルドな面もありつつ、なんとなく作品全体を貫く明るさみたいなものはそういうところから生まれているんだろうなと思います。

 

あとクライマックスで巨大サッカーボールをスケボーで駆け上がる江戸川コナンに、いっけぇーーー!!と声をかけるのが少年探偵団なの激アツなんだよなあ。コナンくんにいけー!コナンー!と言えるの、少年探偵団しかいないですからね。応援上映があったら間違いなく観客の心が一つになるシーンだったろうな。

最後はコナンのアクションで締めるぜ!という気概。劇場版コナンの様式美。
そしてかかる「うつむーくーその背中にー♪」の挿入歌。この曲大好きなんだけど近頃さっぱり劇場版ではかかっていなかったのでかなり久しぶりに聞いた気が。
コナンといえばこの曲、見せ場でかかる曲といえばコレ。
ハロ嫁バージョンのイントロも好きです。パー! パー↑ パー↑↑のとこね。(瞳の中の暗殺者verも好きです)もうこの曲かかると否が応でもテンション上がるよう幼少期から植え付けられている…

 

絶対に興行収入100億いって劇場版コナン史上に爪痕残してほしいな今作。
まじのまじで大傑作だったので。

近年の安室透人気に便乗するかんじか〜〜?などと斜に構えてた前評判を跳ね除ける快作ぶり、燃えた公式投票企画なんてすっかり忘れるくらい純粋に出来の良い作品であったこと、劇場版コナンの作風として間違いなく新たな境地に達したと思います。

初期7作の分厚い壁を乗り越えるのではなく、時代と顧客のニーズに応えた完璧な新時代の劇場版としてここに完成した「名探偵コナン ハロウィンの花嫁」を、ぜひ映画館でご鑑賞あれ。

 

その他おもろシーン

・その貴族イスは一体…!?!あとトイレどうしてんの??
・劇場版ではいつもボロボロな風見
・今作もキャラみんなの衣装がかわいい
・開幕から華麗な背負い投げを決める毛利小五郎
・子供を守るために躊躇なく車道に飛び込める男こと毛利小五郎
・麻酔に耐性ついちゃってるかわいそうな毛利小五郎
・隅々まで毛利小五郎を楽しめる毛利小五郎満漢全席
・今作の軸となる高木&佐藤、警察学校組で出演キャラいっぱいいっぱいなので蘭とおっちゃんは出番減らすしかないんだが退場のさせ方がスマートすぎて拍手喝采
・ハロウィンバイト達もっと覇気のある声出せ
・道に散らばったお菓子を拾うんじゃありません
・いやまじでそのお貴族様の座るイス何????誰が用意したの??風見?

 

 

余談ですが、こんな世界情勢下でロシアの爆弾魔やらなんやら大丈夫か!?と一瞬思ったのですが(まあこれ作ってた頃も公開間際でさえも、こんな世界になるとは誰も想像してなかったけど)最後まで観ればちゃんと、みんなで協力し合って危機を乗り越えるという形に収まっていたので良かった。

エレニカを止められたのは、コナンがあの姿だったのが相当大きいと思うので、いつもの工藤新一の仮の姿ではなく“江戸川コナン”の姿に意味が込められていたのも、とても印象的だったな。

 

死者が還ってくる日に相応しく、亡くなっていったキャラ達が今なお生きる彼らを救ってくれる物語でした。

 

ウッディと一緒に迷子から抜け出そう

トイストーリー4観ました。

世間では賛否両論らしいんですけど私は良かったの方。

みんなトイストーリーという作品に良くも悪くも夢を見続けていて、そして夢しか見たくないんだなあ…と色んな感想眺めてて思いました。ディズニーでこんなの見たくないというのも分かるし、こんなのトイストーリーじゃないというのもまあ分かる、分かるけど、ウッディがちゃんと手を差し伸べて一緒に迷子から抜け出してくれる映画だったから、そのへん汲み取れないともったいないなーとも思ったり。

 

 

 

以下ネタバレ

  

 

4全体を通してとにかく感じたのは、ウッディって本当に本当にアンディに大事にされてきたんだな、ということ。

ウッディにとってもアンディの相棒であるということはアイデンティティそのもの。アンディの幼少期をずっと誰よりもそばで過ごしてきたんですよね。楽しい時も悲しい時も。だからこそウッディは、ボニーにクローゼットの中に仕舞い込まれる日が続いても、初めての幼稚園を不安がるボニーに付いていく。それはボニーが元々持っていたおもちゃ達では決して選ばない行動で、どんな時もアンディのそばにいたウッディだからこそ、そういう時におもちゃに出来ることがあると知っている。どこまでもウッディは、“アンディのおもちゃ”だったことが全ての指針になっているんですよね。

そんなウッディだから、ボニーにとって今最も必要なのはフォーキーだと分かるし、そのポジションが自分でないことも分かる。フォーキーに必死でおもちゃの在り方を説くし、自分の名前を呼ばれなくても遊んでもらえなくてもなおボニーのそばにフォーキーがいるよう立ち回る。

もはやそれだけがボニーのおもちゃになった、あるいはアンディのおもちゃではなくなった自分にとって出来るたった一つのことだから。

 

子ども一緒に遊ぶこと、子どもを幸せにすることがおもちゃの役目というのは確かに間違いなくその通りなんだけど、それ以上に“おもちゃが必要とされる時”というのが、終盤にもう一度描かれる。

ギャビーギャビーが遊園地で迷子の女の子を見つけるシーンで、ウッディは踏み出すのをためらうギャビーギャビーの背中を押すんですよね、「今こそがおもちゃの必要な時だ」と言って。

ウッディがシリーズを通してずっと掲げていた“子どものそばにいること”というのは、つまり子どもの心細い気持ちに寄り添うこと、心の拠り所になることという意味でもあったんだと知って、めちゃめちゃに泣いた。

“いつもそばにいる”おもちゃが、子どもにとってどれだけ勇気をくれるか、ウッディは知っているんですよね。アンディに大切にされていたウッディだからこそ、フォーキーのこともギャビーギャビーのことも見捨てない。彼らを必要とする子どもがいるから。

まるで主題歌「君はともだち」の歌詞を彷彿とさせるこのシーンに、涙が止まらなかった。子どもの遊び相手というだけじゃない、よりいっそう子どもにとっておもちゃが必要な理由が描かれたという意味でシリーズの中でも大事な位置付けの作品だなと感じました。

 

最終的に、ウッディはボニーと仲間達の元を離れ、ボーと一緒にゲームの景品のおもちゃ達を次々と子ども達の元へ送り出す野良のおもちゃになりますが、アンディのおもちゃとして存在してきたからこそ感じられたおもちゃとしての幸せを、今度は別のおもちゃ達にも知ってもらいたいと思ったから、そういう決断をしたんですよね。

おもちゃは子どものそばにいることを信条としてきたウッディは、ラストにボニーの元へ戻ることをためらうけれど、遊んでもらえないことを憂いてためらったわけではなく、どれだけあがいても“アンディのおもちゃ”としての自分を変えられないことに気がついてしまったから。アンディがボニーに自分を託したのだから、ボニーのおもちゃとして在らなければならないと言い聞かせ続けてきたけれど、“アンディのおもちゃ”として存在意義を確立させてきたウッディにとって、持ち主はアンディしかいない。アンディのおもちゃとして在り続けてきたからこそ生まれた心とアンディとの絆を胸に、“アンディのおもちゃではなくなったこれから”を進んでいくしかない。

バズも仲間達も、ちゃんとそれを分かってる。誰よりもアンディのそばにいて、誰よりもアンディのそばにいたいと願っていたウッディを。アンディはあの時ウッディを大学へ連れて行こうとしていて、この先もアンディのそばにいる未来がウッディには確かにあったけれど、仲間達とみんなで一緒にいることを選んだウッディを、今度こそ、思うままの道へ進んでいくよう送り出したんですよね。

 

足裏に書かれたボニーの名前とか、だけどボニーに遊んでもらえないこととか、ボニーの親に踏みつけられることとか、結構だいぶショックなシーンでしたが、おもちゃにとってボニーのような子どもって普通だしあるあるのことなはず。「子どもはすぐに忘れるし、壊すし、捨てる」とボーが作中で何度も言うように。決して残酷なことではなくて、自分の小さい時にだって心当たりのあるような、そんなこと。

アンディがおもちゃの持ち主として出来すぎた存在、理想のプロトタイプすぎたんですよね。アンディの元じゃなかったらウッディにはきっとあそこまで子どもを思う心は生まれなかったんじゃないかな。“アンディのおもちゃのウッディ”としての物語が1〜3、“アンディのおもちゃじゃなくなったウッディ”の物語が4だったと思います。そしてアンディのおもちゃのウッディだったからこそ、選んだ道なのだと思います。

 

ボイスボックスを失うシーン、作中飛び抜けてショックだったのですが、アンディとの思い出の一端でもあるボイスボックスを失うことすら、ウッディがもうアンディのおもちゃではないことを表しているようで、つらくてつらくてたまらなかったし、思ったよりもずっとアンディとウッディ、子どもとおもちゃの夢のような関係性をトイストーリーに求めていた自分に気づかされました。

だけど別にウッディはボイスボックスじゃなくて腕や足や目をちょうだいと言われても差し出していたんだろうな。ジェシーに保安官バッチを渡したように、それが子どものお気に入りで子どもとおもちゃの幸せに繋がることなら、ウッディは何だってやる。それはアンディのおもちゃだったウッディだからこその行動なんだとよくよく分かってここでも泣いた。

 

アンディにもらった幸せを、同じように自分がアンディに与えられていただろう幸せを、今度は他のもっとたくさんのおもちゃ達に。

持ち主を定めきれず迷子になっていたウッディが、最後にちゃんと迷子から抜け出す姿を見て、私もまた一緒に、“アンディのおもちゃだったウッディの物語”を終わらせることができた映画でした。

勝ち筋見えた

「映画刀剣乱舞」観ました。

面白かった。初心者に刀剣乱舞を説明するならまずこれを見せればいいというくらい、仕上がっていましたね、世界観の説明も何もかも。

 

 

 

以下ネタバレ

 

 

映画化!!脚本・小林靖子!!!って出たときからもう祭状態だった今作。いや私。

特撮好きにとって、脚本が小林靖子氏ってそれはもう作品の完成度を約束されたも同然であり。だからもう映画の内容について面白くなかったらどうしようみたいな心配は一切なくて(とか言ってるけど公開前日になって急に映画爆死したらどうしよう…とかブルーになったりしていた)期待通りの面白さ、いや面白いだろうことは予想がついていて、もう気になってるのは、どんなロジカルでギミック満載のお話を見せてくれるのか?って部分だったので、そこが余すことなく満たされてすんごい幸せな気持ちになれる映画でした。

 

「刀」が主人公であることの意味が、しっかり見えたというのが一番の感想。

特に、数あるメディアミックスの中でも、三日月宗近の役回りをいちばん“三日月だからこそ”として描いてるなーと感じました。

クライマックスに明かされる、あの日あの時、秀吉の手元に在ったからこそ知っている物語、彼しか知らない物語、という種明かし、気持ちよすぎる。

三日月の、その来歴ゆえ三日月にしか知り得ない話を、「物が語るが故に、物語。」という着地点に落とし込めている美しさ。

信長の遺体は見つかっていないという史実に基づいて、実は本能寺ではなく安土城で死んでいるという創作設定の、リアルとフィクションのバランスの絶妙さ。

 

そのあたり含めて、常にダブルミーニングで展開していく映画でしたね。

信長の死の真相にまつわる薬研と三日月の分割カット「安土城…!」のシーンなんかは象徴的でしたけど、それ以外にも色々あったし、ラストは怒涛の重ね技ってかんじ。

 

・「物が語るが故に、物語」の導入テロップ

三日月宗近という刀だからこそ知り得る信長の死の真相/歴史を守る

・三日月の「行って参る」「只今戻った」

(これがさよならの挨拶かもしれない/任務を遂行し主の最後に間に合った)

・男士一同が会して審神者に向かって礼をするシーン

(新たな審神者に向かって/スクリーンの向こうにいる審神者に向かって)

・三日月の「主よ、また守るものが増えてしまった」と語りかけるラストのモノローグ

(新たな審神者に対して/前代の主に対して)

・ラストのタイトルバック「- 継承 -」

審神者の代替わり/歴史を守ることそのもの/あるいは続編あったりして)

・『皆に教えることで余計にリスクが高まる』と考えた三日月の行動全般

(信長の死が歴史通り完遂されるため/審神者の代替わりに際する本丸襲撃を危惧するため)

で、これには答えとして長谷部の「言わなかったんじゃなくて、言えなかった」というセリフもしっかり用意されているんですよね。爽快。

 

あと薬研の「それさえも守るべき歴史なんだ」っていうのは、まんま三日月の行動全てに繋がってますよね。信長のことも本丸のことも。

同じ手法でいうと、三日月の「何も考えず剣を振るうより余程良い」も、戦う意味を模索する骨食に向けた言葉でありながら、三日月の行動は全て考えあってのことですよという鑑賞者に向けた説明でもあり、時間遡行軍に操られている無銘を指してもいる、という……

 

なんやこの掘るほど気持ちいい脚本は〜〜〜〜〜〜!!!靖子〜〜!!!!!

 

刀剣乱舞というコンテンツの顔として存在しているキャラクターなので全メディアミックスに皆勤賞の三日月宗近ですが、看板という扱いが先行して役を背負わせられてるなと感じることも多くて、彼自身はどんな刀なのか?何を思い刀剣男士としての生をどう過ごすキャラなのか?みたいなところってこれまでどのメディアミックスでもあんまり深掘りされてる印象なかったのですが、常に一歩引いた所にいるミステリアスじじい以外にキャラ付けあんまりされないなーと思っていた三日月が、しっかり物語の中で生きるキャラとして色付けされていて、物語のためのキャラではなく、キャラの物語を描く(と勝手に思っている)小林靖子脚本ならではの良い作用だったなと思いました。

 

刀剣乱舞の上手いなーと思うところは、とにかくメディアミックスがたくさんあるところで、どれか一つでも刺さってくれれば原作を知るきっかけにもなるんですよね。

そんな中での、映画/脚本・小林靖子ですよ。

覚えてます?情報解禁の日のTwitterのトレンド。「小林靖子」一色でしたよね。なんなら彼女の歴代脚本担当作品とかまで挙がってきてましたよね仮面ライダーオーズっていうんですけど(オーズは人生の必修科目なのでよろしくお願いします)私のような小林靖子作品に踊らされてきた人間にとってはたまらない発表でした。

画的・心情的な盛り上がり所の作り方と、状況・設定説明、キャラクターの人間性や話の整合性の取り方が上手いんですよね。辻褄合わせの天才。(仮面ライダー電王でヒロインが急遽降板した時のハンドル切り替えもの凄かった)

バランスがいいから見ててストレスがない。ので、心ゆくまで世界観やキャラに感情移入して楽しめる。

 

はあ…楽しかった。楽しかったから週替わりの映画泥棒コラボを餌に毎週通ってしまう。

どのタイミングでその話すんのよってかんじだが聞いてくれ

ときレスアプリ終了しましたね!

わたしはリリース数日後から始めた初期勢なのでいろいろたくさん思うことあるんだけど、そういうのはきっと他の人が綴ってるだろうと思うので、この5年半、アプリとライブとVitaと映画と様々な媒体で彼らを見てきて、お、おまえ〜〜〜〜〜とうっかり落ちたキャラについて書き残しておきます。

ハーーーッとなりすぎて勢いではてな垢まで取ってしまったし、記念に(何の?)まとめておこうという魂胆です。ただの自己解釈備忘録です。

 

わたしが!最終的に!いちばん注目するキャラとなったのは!!

透くんだ〜〜〜〜〜〜〜!!!!(※推しは司さんです)

そして始めの頃、最も興味なかったのも透くんだ…

 

いやライブ行くとさ、ダンスもMCも含め彼の生意気かわかっこよさに、ウッッッッ(頭抱え)てなるじゃないですか、大抵。

例に漏れずわたしもそうなんですけど、5周年記念で発売されたVitaソフトによって

まーーー完全に神崎透のこと好きになってしまったよね。

 

ふわふわ(全国の不破担に締め上げられそうな呼び方してて本当にすみません)の語る小さい頃の透とか、Vitaで見えるスタッフさんに対する態度とかを鑑みるに、彼はとても他人の顔色伺うタイプですよね。空気読むのが上手い。この人にはここまでしても大丈夫、この人はここまで、みたいなのを常に考えてる。

幼なじみのふわふわ(本当にすみません)に対して遠慮ゼロなのは小さい頃からの自分を全部知られている信頼感から生まれる態度だし、

この人は信用できると思った相手に対して

めちゃめちゃ甘えを出してくる。

というところからの京也さんに対する態度ですよ。

手がかかる奴だって言って構ってくれるからさ〜〜そりゃ懐くよね〜〜〜でもさ〜〜〜〜〜京也サンには態度じゃなく言葉で伝えないとだめなんだな、と気づいてからの神崎透、はちゃめちゃに惚れません????

さ、察しがイイ〜〜〜〜さすが神崎〜〜〜〜〜〜

グループのこと大切に思ってんの自分だけだと思うなよって京也の横っ面はたいてくれる神崎透に惚れない女なんているのか!?!?

このVita経てからの、3月の5周年ライブ以降の透くんの京也に対する甘えの出し方に逐一心臓掴まれてるのでライブ行くたび苦しい…透さん…ありがとう…

 

彼にハマってから、神崎透を通して見る各キャラというのが、わたしの中でときレスの楽しみ方の一つになっているんですが、

ふわふわ(すみません)は言わずもがな、京也に対して、リーダーとして信頼しつつ、あぁこの人案外寂しがりやなんだな、ということに気がついてからのもっとがっつり寄りかかってあげるくらいで安心するんだなと舵取りする伊達京也の取り扱いに長けてきた感に5年の積み重ねを感じます。

(Vitaはとにかく両グループの歩んで来た道のりを強く感じられて涙しかない)

 

慎ちゃんのことは同族嫌悪みたいな部分あると思っていて、透くんが生きていく上で体得せざるを得なかった人の気持ちに敏感になるってことを慎ちゃんはわりと本能でナチュラルにやれるタイプだから同じタイプな分、やりづらくて苦手なんだろうな〜と思う。

自分が何考えてるか分かられてるっていう状態、透くんは好きじゃないですよね。

慎ちゃんに対して主導権を握りきれないところが(そして別に慎ちゃんが意図的にそうしてるわけでもないってところが)この2人の関係性に深みを与えていると思ってます。

こんだけ本質的に似ていて食の好みは真逆なところもイイ。

 

魁斗に対しては完全に、歳が近いが故のライバル心が大きいなと感じてますが、魁斗の多才で苦労なく愛情に包まれて育ってきたんだろうなってかんじがフンッてなるんでしょうね、自分にないもの持ってる。

まあそれはお互い思ってるんだけどね、

コイツやるじゃんってお互いね、思ってますよね。

ときレス界のシンメですね。

辻&神崎はこれからもおねーさん達のハートを打ち抜き続けるでしょう。

 

で、対・霧島司ですよ。

透くんは司さんに甘いんですよ。

司さんあまりにも気持ちに裏表がなくて実直すぎて天然だから毒気もそがれるというか、たぶんいちばん透くんの心に潜むお兄ちゃん気質を引き出しているの司さんでは?

いちばーーーーーんフラットに付き合える相手なんじゃないかなと思います。

「透が俺の友達になってくれるか?」のイベントどえらいかわいくなかったです???

なんやかんや意外と今後2人で遊ぶ仲になっていくと思う…(願望)

5年目にしてこのユニットの旨味を知ってしまったよ…

 

透くんは精神年齢高いですよね。

だから実際年上の京也や司さんに対して意外と見守るポジになるのが面白いというか、ときレスに触れてて楽しい部分でもあり。

ユニット展開はときレスに新たな楽しみの幅を生み出してくれて、誰と組んでも自分ワールドに引き込む音羽慎之介とか、誰と組んでも相手の新たな一面を引き出してしまい女達の声を枯らす不破剣人とか、まだまだこれからも楽しませてもらうぜ!と思ってます。

アプリは終わってしまいましたが、コンテンツは続いていくとのことなので

今後も彼らの成長をマイペースに追いかけていきます。

 

まだ指が無意識にときレスにログインしようとしてしまうんだけど

5年以上続いた習慣がそう簡単に無くならないわな笑